京都を見切ったとき
京都初の
シルバー・ショップは
生まれた
京小間物匠 有限会社中野商店 プティ・ミミ
<工房>
〒604-0813
京都市中京区間之町通二条上る夷町582
TEL:075・255・5980/FAX:075・255・5985
<ショップ プティ・ミミ>
〒604-8091
京都市中京区河原町御池 ゼスト御池
TEL:075・253・3141
<エムズコレクション>
〒604-8091
京都市中京区河原町御池 ゼスト御池
TEL:075・253・3114
もともとは小間物問屋を営んでいた。明治30年の創業で現主人は3代目。「京都では一〇〇年では老舗とは言えない」やはりそうおっしゃる。当時京小間物といえば全国に販路を持っていた。櫛、簪、帯留め…優秀な職人が集まり、羽振りはよかった。しかし、戦後和服を着る人が減少するとともに需要は減っていく。小間物はアクセサリーに変わり、京都では職人が優秀なだけにその技は伝統工芸として珍重されこそすれ、東京や大阪の安価なものに市場を奪われていく。伝統というものに縛られて新しいものが生まれない。中野商店は一時休業、主人は外資系サラリーマンを経て東京へ修行に出た。60年代、高度成長を目前にした東京、下町は活気にあふれていた。そこで見たものは親方のためならひと肌脱ごうという職人たちの情、飾り職人と香久師が混在する奇妙な世界。そして若いアイデアがどんどん歓迎される、なんでもできそうな可能性。中野さんはそこで独自のスタイルを見つけだす。それは合理性をもった本物の職人技。職人の仕事は分業制だ。今までの慣習を破り、部分だけをつくるのではなく、全部自分でつくる。つくったものは自分で売る。ヨーロッパの工房に学んだ新しいスタイルを取り入れた。そしてつまらない作業は手づくりにこだわらず、どんどん機械化する。工房をつくり、海外から資料を取り寄せ研究し、自分でキャスティングマシンをつくりあげた。それは手間暇をかけないということではなく、本当に必要な部分に力を入れられるようにと考案された、職人が職人でいるための機械化だった。京都初、全国でも数店しかなかった銀の専門店「プティ・ミミ」はこうして誕生した。大量生産が目的ではない。売れたぶんだけつくる。売れ筋にこだわらず、本筋をつくり続ける。決して高くない、決して安物ではない」オリジナルをめざす。長くやってると波は何度か巡ってくる、というその鷹揚さも京都らしい。
写真1
銀・翼シリーズ
(ペンダント、イヤリング、リング)
写真2
昔ながらの
銀の簪[かんざし]、帯留め
写真3
モダンな銀の
バイオリンブローチ、
サソリのネックレス、
香水入ペンダント