京都デザイン優品2006審査員
石橋勝利(株式会社アクシス 情報企画グループ編集長)
河崎隆雄(インテリアコーディネーター)
向井吾一(京都意匠文化研究機構代表)
山内陸平(京都工芸繊維大学名誉教授)
主催者審査員(社団法人京都デザイン協会)
・久谷政樹(理事長)
・竹林善孝(実行委員長)
審査講評
石橋勝利
(株式会社アクシス 情報企画グループ編集長)
審査基準の5つの基本的要素の中で、今回に限らず常に重視しているのは、「新しい素材・技術に挑戦している」「ライフスタイルや環境への新しい価値と方向性を提案している」の2点です。デザインあるいはデザイナーは、常にそうあるべきだと思うからです。古き良きものを大事にしつつも、常に新しい提案を続けてなければいけない。「カタチや柄だけ変えて、はいどうぞはあかんやろ」と。これは、我々がAXIS の雑誌づくりにおいて、最も気をつけていることでもあります。いかに社会やユーザーにとって新しい意味のあるものを提案し続けるか。もちろん、これは簡単ではないことも承知しています。自分では新しいと思っていても、それは既存のモノの焼き直しに過ぎなかったり、見た目はユニークだけれど機能的には何の意味もなかったり……。常なる試行錯誤の中からしか、“本物”は生れないのかもしれません。
河崎隆雄
(インテリアコーディネーター(株)カワサキ・タカオ・オフィス代表取締役)
早いもので、京都デザイン優品の審査に参加させていただくにも、今回で3回目になりました。毎回、広範囲からの応募商品を同一の基準で審査することの難しさを感じます。
社会システムや社会のニーズと「モノ」の価値観が変化した現在では、「ものづくり」ではなく「商品づくり」と言ったほうが、送り手は、それを手にする人を理解し易いのではないかと思います。今までの「ものづくり」は、独自の伝統と技術と流通とが、余りにも強く結びついた環境の中での「商品づくり」が多かったように思います。
新しい「次代の質」を予感させる企画とジャンルを越えた技術の活用で、「もの」についての考え方と「ものづくり」の環境の再構成、そこから生まれる多くの「優品」を、京都デザイン協会は期待しているのだと、私は思っています。「京都デザイン優品」に認定したい「商品」が数多く応募されることを楽しみにしています。
向井吾一
(京都意匠文化研究機構代表、京都市立芸術大学芸術学部教授)
「京都優品」のデザイン活用
「京都ブランド」として国際的な観光都市として京都の持つ都市力を背景に、さまざまな形で振興策が取られている。なかでも「京都優品」は長年にわたり、京都の産業工芸の奨励に努めてきた。主催する京都デザイン協会のデザイナーが市内・府下のさまざまな業種の商品開発の方向性を見極めようとする交流会であり、公募された優品の中からさらにその年度における優品を選抜し、意匠権を検証し、インターネットで広く情報を伝達するシステムであるといえます。
公募の審査に当たり、評価することの困難さは常に感じるところで、多種多様な業態開発から産出された出品作を前にして、価値判断や差異はまちまちである。その場に臨んで、物作りの形態、そして考えにおいて、既に在る京都らしさは意識の外に追いやられ、機能性、合理性をこえて全体として美しいかどうか第一印象が決定的なものになります。
1.触感。
手を触れたくなる、素材の活力と匠の技。そしてどこが新しいのか。
2.意趣。
作り手・使い手の双方にどういう意味をもたらすか、製品の基本的な考えが魅力的にプレゼンテーションさえているかどうか。
3.そして、商品として売れるためのバランスは適切か。市場に出てからの問題が解決されているかどうか。
等が、選定の(私の)基準となります。そこにその時々で個人的なニュアンスが入ってくる。従って、入選作や入選外に関らず大切に思うことは、応募することによって、優品の運動が回っていることです。今日、情報は参加型(インタラクティブ)相方向であり絶えず日々変化する。微妙な差異(ニュアンス)はそうした情報によって
作られているといえます。
「京都優品」の理念と方針も一貫して保持されてきていますが、しかし一方で、どんな組織も日々変化する外からの環境の条件によって、また内在する要請に応えて、自分達の生存領域の固定化を揺さぶって(自ら発起して)対応していくことが課せられている。実験的にせよ先駆けることが求められる。けれども、「京都優品」が他の地場産業の在り様と比べて、日本の文化の資本でありつづける要因は歴史的な伝統性
とのつながりにあり、結果がすぐ出る短期勝負のマーケット(市場)にあって、「京都」の「優品」であるためには、商品がロングランで考えられていることが設定されている。この「先端性」と「伝統性」は、京都の特性であると当たり前に取り扱われています。
あまり速効性はないけれども長期的に見て、今、取り組まないと市場から取り残されてしまうデザイン基準にユニバーサルデザインという考えの商品への浸透があります。これは京都の「街並みを守る」「ブランドを守る」京都人の暮らしに通底する「京都のおもてなし文化」の知恵と創意の内に在るといえます。
このような京都優品のメッセージが新たに多くの参加者を得て、一層内外に知らしめられることを今こそ願ってやみません。
山内陸平
(京都工芸繊維大学名誉教授)
「京都優品」の審査に向き合うたびに、この事業の意味を問い直してみるのだが、いまさらデザイン振興でないことはいうまでもない。
その意味は、単に「京都優品」として「選ぶ」ことだけではない。京都の中小企業が創った優れた商品を社会に、市場に顕在化させ、ビジネスにつなぐことが本事業の趣旨ではないのか、と私は解釈している。
そうだとすれば、選んだ後が重要である。この事業の意味を生かす手段、簡単に言えばビジネスにつなげる手段が必要なのだが、現在ではその有効な方法が見えてこない。選定されてもそれほど意味がなければ、何のための事業かということになり、審査をする一人として、少なからず悩むところである。
今年も選ばれたモノの中のいくつかは、「京都優品」として市場で認知されてよいと思うものがあった。この数年のものを含め、これらをどうして市場に、生活者につなぐのか。これこそがこの事業の目的であり、課題である。それには、「場」と「情報」のネットワーク、それに先立つ経済的支援が必要なのだが、ボランティアで行なっていう主催者のデザイン協会だけでは限界もあろう。
当初は「官」主導のこの事業が、二年前に「民」の京都デザイン協会に移されたと聞く。現状のままでも「継続」することに意味があるとする考え方もあるし、私自身意味のないこととも考えない。が、無責任な言い方ではあるが、そろそろ選定とその後のことを含め事業の再構築が必要な時期であろう。
久谷政樹
(社団法人京都デザイン協会理事長)
もともと、京都には他都市と比べて洗練された文化、奥深い歴史、時代を先取りした美意識に裏打ちされた「ものづくり」の伝統精神があった。伝統を単に継承するだけではなく、破壊し新しく創造するバネとして利用してきた。琳派にしても、若沖にしてもその表現行為は明らかにそれまでのアカデミズムの否定であった。
「京都らしさ」「京都ブランド」は正にここに神髄がある。伝統を遺産とせず、土壌として生かす創造力こそが京都特有の文化ではないだろうか。
デザイン優品とはいかなるものなのか、美意識を「かたち」に置き換えたもの、ヒトとモノを繋ぐ「こころ」のようなものなのか、京都デザイン優品2006もこんなことを考えながら審査した。
伝統工芸品からハイテク精密工業製品まで幅広い作品の応募があった。それぞれに自信作であると思うが私には不満が残った。
それを言葉すると難しいのだが、一口にいって伝統を破壊するほどの「合理ある美意識」を感じさせる作品が少なかったことがその理由ではないかと思っている。
(追記)
ユニバーサルデザインとは、「すべての人のためのデザイン」と言われ、今日では年齢、性別、国籍、文化、心身の能力や状態といった人々の様々な特性や違いを超えて、すべての人に配慮したまちづくりやものづくり、情報やサービスの提供を進め、だれもが生活しやすい生活環境をつくっていくという意味で使われています。(「京都市・みやこユニバーサルデザイン」より)